ローカパーラの考え方

横浜は坂道の街。保土ケ谷で暮らす極意は、坂道を制すること!

横浜は坂道の街。保土ケ谷で暮らす極意は、坂道を制すること!
老後も楽しく過ごすために、自分の足で歩ける身体へ

横浜は、何気に坂道が多い街です。

平坦な場所だけを歩いているつもりでも、少し住宅地へ入れば、上り坂がある。
下り坂がある。
階段がある。

横浜で暮らすということは、実は坂道と付き合って暮らすということでもあります。

その中でも保土ケ谷は、坂道と階段が日常にある地域です。

保土ケ谷を「天空の街」と表現する人がいるのも、実際にこの街を歩けば納得できます。坂の上に住宅地が広がり、日々の移動に坂道と階段が当たり前のように出てきます。

駅までの道。
買い物へ行く道。
病院へ行く道。
散歩道。
家の近くの階段。

保土ケ谷の生活には、坂道があります。

若い頃でも、保土ケ谷の坂道は決して楽ではありません。
息が上がる。
脚にくる。
買い物帰りは腰が重い。

それでも若いうちは、なんとかやり過ごせます。

ところが年齢を重ねると、その「なんとか」が効かなくなります。

「疲れた日の坂道はきつい」
が、
「坂道は無理。バスで行こう」
に変わる。

「下り坂は少し気をつけよう」
が、
「下り坂は怖いから避けよう」
に変わる。

「買い物帰りは腰が重い」
が、
「買い物は誰かに頼もう」
に変わる。

「長く歩くと足先が疲れる」
が、
「長く歩くのはやめておこう」
に変わる。

この変化を、ただの老化で片づけてはいけません

年齢は関係します。
筋力も落ちます。
バランスも変わります。

でも、それだけではありません。

若い頃から積み重ねてきた歩き方の癖重心の乗せ方足の使い方身体の支え方が、年齢とともに負担として表に出てきます。

老後を楽しく過ごすために必要なのは、ただ長生きすることではありません。

自分の足で出かけられること。
行きたい場所へ行けること。
人に会えること。
好きなことを続けられること。

その土台にあるのが、歩ける身体です。

歩くことが目的ではありません。
楽しく過ごすために、自分の足で歩ける身体が必要なのです。

保土ケ谷で暮らす極意は、坂道を制すること。

これは冗談ではありません。
この土地で老後も楽しく過ごすための、かなり現実的なテーマです。

横浜は坂道の街。保土ケ谷は坂道と階段が日常

横浜は、港町のイメージが強い街です。

海があり、みなとみらいがあり、山下公園があり、平坦な街のように感じる方もいるかもしれません。

でも、実際に横浜で暮らしているとよく分かります。

横浜は、何気に坂道が多い街です。

駅から少し住宅地へ入れば、上り坂がある。
下り坂がある。
階段がある。

横浜で暮らすということは、坂道と無関係ではいられません。

その中でも、保土ケ谷は坂道と階段が日常にある地域です。

平坦な道だけで生活が完結する地域ではありません。
少し移動すれば、上り坂がある。
下り坂がある。
階段がある。

それが保土ケ谷です。

坂の上から見える景色があります。
昔ながらの道があります。
坂の上と下で、街の表情が変わります。

保土ケ谷を「天空の街」と表現する人がいるのも分かります。坂の上にも、ちゃんと暮らしがあります。

この地形が、保土ケ谷の暮らしをつくっています。

しかし、年齢を重ねると、この坂道が身体に現実を突きつけます。

上り坂で息が上がる。
下り坂で膝が怖い。
歩幅が小さくなる。
足先に力が入りすぎる。
外出がおっくうになる。

坂道を歩く力が落ちると、生活範囲は一気に狭くなります。

これはかなり大きな問題です。

横浜で暮らすなら、坂道を歩ける身体は大切です。
そして保土ケ谷で老後も暮らすなら、坂道を歩ける身体はさらに重要になります。

坂道を歩ける身体は、この地域で暮らし続けるための生活能力です。

保土ケ谷で暮らす極意は、坂道を制すること。

大げさに聞こえるかもしれません。
でも、実際に年齢を重ねた身体でこの地域に暮らすことを考えれば、かなり切実な話です。

坂道を歩けるかどうか。
それは、外に出られるかどうかに直結します。

外に出られるかどうか。
それは、人に会えるか、買い物へ行けるか、好きな場所へ行けるかに直結します。

つまり、坂道を歩ける身体は、保土ケ谷で楽しく暮らすための土台です。

歩くことは当たり前。でも、歩けることは当たり前ではない

歩くことは、あまりにも当たり前の動作です。

だから多くの人は、自分の歩き方に疑問を持ちません。

子どもの頃に自然と歩けるようになり、そのまま大人になります。
仕事をする。
家事をする。
買い物へ行く。
駅まで歩く。

毎日歩いているから、自分は普通に歩けていると思っています。

でも、歩くことと、身体に負担をかけずに歩けていることは別です。

歩き方をきちんと習った人は多くありません。
ほとんどの人は、自己流のまま歩いています。

平地を短時間歩く程度なら、それでもごまかせます。
しかし、坂道、階段、長時間歩行、登山ではごまかせません。

自己流の歩き方は、腰、膝、足首、足先への負担として表れます。

歩くという当たり前の動作ほど、見直されません。
しかし、老後の生活を考えると、歩く力ほど大切なものはありません。

楽しく過ごしたい。
好きな場所へ行きたい。
人に会いたい。
趣味を続けたい。

そのためには、自分の足で移動できることが必要です。

歩けるから、出かけられる。
出かけられるから、人に会える。
人に会えるから、生活に楽しみが残る。

歩くことは目的ではありません。
楽しく生きるための土台です。

ここを間違えると、話がずれます。

健康のために歩く。
それも大切です。

でも、本当に大切なのはその先です。

歩ける身体があるから、生活を楽しめる。
歩ける身体があるから、人とのつながりが残る。
歩ける身体があるから、自分の意思で外へ出られる。

だから、歩き方を見直す必要があります。

坂道でつらくなる身体には、歩き方の癖が出ている

坂道では、平地では隠れていた身体の癖が出ます。

上り坂で前ももばかりが疲れる。
ふくらはぎがすぐ張る。
腰が反ってしまう。
下り坂で膝に負担がかかる。
足先に体重が乗りすぎる。

これらを筋力不足だけで説明するのは雑です。

もちろん、筋力は大切です。
しかし、筋力があっても、身体の使い方が悪ければ一部に負担が集まります。

坂道を上るとき、脚の力だけで身体を持ち上げようとすると、前ももやふくらはぎに負担が集まります。

坂道を下るとき、重心を制御できなければ、膝や足首でブレーキをかけ続ける歩き方になります。

つま先側に体重が乗りすぎれば、足先にも負担が出ます。

坂道でつらくなる身体には、歩き方の癖が出ています。

保土ケ谷で暮らすなら、この坂道の歩き方は重要です。
山に行く人だけの話ではありません。
保土ケ谷の日常生活そのものの話です。

坂道で身体がつらくなる人は、坂道そのものに負けているのではありません。

身体の使い方が、坂道に対応できていないのです。

ここを見直さずに、筋力だけをつけようとしても限界があります。
脚を鍛えても、つま先に体重が乗り続けていれば足先に負担が出ます。
太ももを鍛えても、下り坂で膝にブレーキをかけ続ければ膝はつらくなります。
腰を揉んでも、歩くたびに腰で身体を支えていれば腰痛は戻ります。

坂道で必要なのは、足腰の根性ではありません。
身体全体で重心を運ぶ歩き方です。

歩き方を見直すサイン|登山後の腰痛や足先の痛みが出た方の症例を参考に

一例として、登山後に腰痛や足先の痛みが出た方のケースを紹介します。

登山が好きな方にとって、山を歩く時間はとても大切です。

自然の中を歩く。
景色を見る。
季節を感じる。
仲間と山へ行く。

それは、単なる運動ではありません。
生活の楽しみであり、生きがいに近いものです。

ところが、登山後に毎回腰が痛くなる。
さらに、足先にも痛みが出る。

この状態を「登山をしたから疲れた」で済ませてはいけません。

痛みが出ている場所だけを整えても、同じ歩き方で山へ行けば、また同じ負担がかかります。

山を歩くことがその人にとって大切なら、ただ「登山を控えましょう」で終わらせるだけでは足りません。

必要なのは、登山をやめることではありません。
登山を続けられる身体の使い方を身につけることです。

実際に、登山後に腰痛と足先の痛みが出ていた方のケースでは、歩き方を確認すると、つま先側に体重が乗りやすく、坂道で脚の力に頼りすぎる傾向がありました。

その結果、長時間の登り下りで、腰と足先に負担が集中していました。

このような場合、筋力だけを鍛えても不十分です。
重心の乗せ方、足の使い方、体幹と骨盤の使い方を見直す必要があります。

登山で出る腰痛や足先の痛みは、山だけの問題ではありません。
日常では隠れていた歩き方の癖が、長時間の坂道歩行で表に出たものです。

山で出る問題は、保土ケ谷の坂道でも出ます。

だからこそ、登山後の不調をきっかけに、歩き方そのものを見直す意味があります。

これは、登山を続けるためだけの話ではありません。

保土ケ谷で暮らし続けるための話です。
老後も自分の足で出かけるための話です。

山を歩ける身体は、坂道の街で暮らせる身体でもあります。

「年齢のせい」で終わらせる前に見直すべきこと

年齢を重ねると、身体は変わります。

筋力は落ちます。
バランスも変わります。
反応も遅くなります。
疲れも残りやすくなります。

それは事実です。

しかし、すべてを「年齢のせい」で終わらせると、改善できるものまで見逃します。

坂道がつらい。
歩くと腰が痛い。
下り坂で膝が怖い。
足先が痛くなる。

こうした症状の背景には、身体の使い方があります。

体重をどこに乗せているのか。
足先に頼りすぎていないか。
膝でブレーキをかけていないか。
腰を反らせて身体を支えていないか。
体幹と骨盤で重心を運べているか。

ここを見直さずに、「年齢だから仕方ない」で終わらせるのは早いです。

歩き方を見直すとは、きれいに歩くことではありません。
これからも自分の足で生活するために、身体への負担を減らす歩き方を身につけることです。

老後も楽しく過ごすためには、歩ける身体が必要です。

健康のために歩くのではありません。
楽しく生きるために、歩ける身体を残すのです。

ここは、はっきり言っておきたいところです。

歩く力が落ちると、生活の選択肢が減ります。
坂道を避ける。
外出を減らす。
人に頼る。
好きだったことをやめる。

そうなってから慌てるのでは遅いです。

歩けるうちに、歩き方を見直す。
坂道がつらくなり始めた時点で、身体の使い方を整える。

それが、保土ケ谷で老後も楽しく過ごすための準備です。

親世代のために、そして未来の自分のために

この話は、親世代だけの問題ではありません。

団塊Jr世代にとっても、かなり身近なテーマです。

親が以前より歩かなくなった。
坂道を避けるようになった。
外出を面倒がるようになった。
買い物や通院に付き添いが必要になってきた。

こうした変化は、ある日突然起こるわけではありません。

少しずつ歩かなくなる。
少しずつ外に出なくなる。
少しずつ生活範囲が狭くなる。

そして気づいたときには、外出そのものが大きな負担になります。

親にいつまでも元気でいてほしい。

そう思うなら、歩けなくなってから支えるだけでは遅いです。
歩けるうちに、歩き方を見直す機会をつくることが大切です。

旅行に行ける。
買い物に行ける。
友人に会いに行ける。
近所を散歩できる。
坂道を自分の足で歩ける。

それは、親世代がこれからも楽しく過ごすための大きな支えになります。

高価なものを贈ることだけが、親へのプレゼントではありません。

これからも自分の足で出かけられる時間を支えること。
それも、家族から贈れる大切なものです。

そして、この話は親だけの話では終わりません。

親が坂道を避けるようになる。
外出が減る。
歩く距離が短くなる。
好きだった場所へ行かなくなる。

その姿は、いずれ自分にも起こる未来です。

団塊Jr世代も、もう「若いから大丈夫」と言える年齢ではありません。
今は親を支える側でも、次に備えるべきは自分の身体です。

親の歩き方を見直すことは、親への思いやりです。
同時に、自分自身の未来を考えるきっかけにもなります。

親に歩ける時間を残す。
そして、自分も将来、歩ける身体を残す。

保土ケ谷の坂道は、親世代だけに厳しいわけではありません。
いずれ自分にも、同じ問いを投げかけてきます。

そのときに困らないために、歩けるうちから歩き方を見直しておく必要があります。

保土ケ谷で老後も楽しく過ごすために

保土ケ谷で老後も楽しく過ごすためには、坂道を避け続けるだけでは限界があります。

坂道を避ける。
外出を減らす。
買い物を誰かに頼む。
駅まで歩かなくなる。
人に会いに行かなくなる。

これを続けると、生活はどんどん小さくなります。

もちろん、身体の状態に合わせた工夫は必要です。
しかし、歩く力そのものを手放してはいけません。

行きたい場所へ行ける。
会いたい人に会いに行ける。
自分のペースで買い物に行ける。
近くの坂道を怖がらずに歩ける。

そのためには、今のうちから歩き方を整えておく必要があります。

歩き方は、年齢を重ねてからでも見直せます。
ただし、長年の癖があります。
「意識しましょう」だけでは変わりません。

自分ではできているつもりでも、実際の動きとはズレています。
だから、実際の歩き方を確認し、必要なところをその場で修正する必要があります。

ローカパーラでは、歩き方をただ言葉で説明するだけでは終わりにしません。

実際にどう歩いているのか。
どこに体重が乗っているのか。
坂道でどこに負担が出ているのか。
本人の感覚と実際の動きに、どれだけズレがあるのか。

そこまで確認します。

歩くことは、あまりにも当たり前です。
でも、その当たり前が崩れたとき、生活は大きく変わります。

だからこそ、歩けるうちに、歩き方を見直す。

保土ケ谷で暮らす極意は、坂道を制すること。
そして坂道を制するためには、足腰の力だけでなく、身体の使い方そのものを整えることが必要です。

あとがき|ローカパーラの店頭看板に込めた意味

ローカパーラの店頭看板「なりたい私へ」
ローカパーラの店頭看板「なりたい私へ」

そういえば、この看板を見たことがある、と思った方がいるかもしれません。

女性がきれいに歩いている。
そして、そこに「なりたい私へ」という言葉がある。

ぱっと見れば、美容系の看板に見えるかもしれません。
「これって整体と関係あるの?」と思った方もいるでしょう。

はい、その疑問はもっともです。
むしろ、その違和感ごと受け取ってもらうために、あの看板にしています。

ローカパーラが大事にしているのは、痛いところだけをその場で何とかすることではありません。

その人が、この先も自分の足で歩けること。
行きたい場所へ行けること。
人に会えること。
好きなことを続けられること。

そういう未来を、身体の側から支えることです。

きれいに歩いている女性の姿を使ったのも、単に見た目の話をしたかったからではありません。

歩き方には、その人の身体の使い方が出ます。
歩き方には、その人の生活が出ます。
歩き方には、その人の未来が出ます。

若いうちは、多少無理をしても歩けてしまいます。
でも、年齢を重ねると、その歩き方の差が、坂道を上れるか、下り坂を怖がらずに歩けるか、買い物へ行けるか、好きな場所へ出かけられるか、そういう現実になって返ってきます。

「なりたい私へ」という言葉も、単なる美容のコピーではありません。

痛みが少ない私。
軽やかに歩ける私。
出かけることを面倒がらない私。
年齢を重ねても、自分の足で好きな場所へ行ける私。

そういう未来へ向かう入口として、歩き方を見直す。

その意味を、あの看板には込めています。

今回の記事で書いたように、保土ケ谷で暮らすなら、坂道を歩ける身体は大きな生活能力です。
そして、老後も楽しく過ごしたいなら、その土台にあるのは、やはり歩ける身体です。

ローカパーラでは、立つ、歩く、坂道を上る、下るといった日常の身体の使い方を大切にしています。

痛みのある場所だけを見て終わりにはしません。

なぜそこに負担が集まるのか。
日常生活の中で、どのように身体を使っているのか。
歩き方や重心移動に、どのような癖があるのか。

そこまで確認します。

こうした身体の使い方を見直していく考え方を、ローカパーラでは「からだOSのアップデート」と呼んでいます。

歩き方は、単なる見た目の話ではありません。
老後も楽しく過ごすために、自分の足で歩ける身体を残す。

そのための、かなり本質的な話です。

関連ページ:
姿勢・歩き方・体幹を見直す|からだOSアップデートプログラム