SEの体調管理というと、肩こり、腰痛、頭痛、眼精疲労の話になりがちです。
もちろん、それらは大切です。
しかし、そこから入ると、どうしても話がありきたりでつまらない。
そこで今回は、少し違う角度から考えます。
マウス。
なぜエルゴノミクスマウスがあるのか。
キーボード。
なぜ左右セパレートキーボードというものがあるのか。
椅子。
なぜ椅子は腰や肘を支えるように作られているのか。
SEが毎日使っているデバイスの設計を、リバースエンジニアリングしてみます。
すでに使っている人にとっては、「あぁ、そうそう」という話。
使っていない人にとっては、「へぇ、そうなんだ」という話になるのではないでしょうか。
そこから逆算すると、SEの身体にどのような負荷がかかりやすいのかが見えてきます。
さらに、その設計思想をもう一段逆算すると、ある姿勢が導かれます。
SEの不調を減らしてくれる、その姿勢の正体とは?
SEの体調管理とは、単なる不調対策ではありません。
その入口として、今回は「からだOSで Hello, world.」という話をします。
1. SEの体調管理を、まずデバイスから考える
SEの体調管理を考えるとき、いきなり症状から入ると話が平凡になります。
肩こり。
腰痛。
頭痛。
眼精疲労。
手首の痛み。
たしかに、どれもSEに起こりやすい不調です。
しかし、それだけでは「長時間パソコンを使うと身体に悪いですね」という話で終わります。
そこで、今回はデバイスから考えます。
SEは、仕事の道具にこだわります。
マウス、キーボード、椅子、モニター、エディタ、開発環境。
その中でも、身体に直接触れるものが、マウス、キーボード、椅子です。
エルゴノミクスマウス。
トラックボール。
左右セパレートキーボード。
テント型キーボード。
キータッチの良いメカニカルキーボード。
リストレスト。
オフィスチェア。
ゲーミングチェア。
これらは単なるガジェットではありません。
PC作業によって身体に負担がかかることを前提に作られています。
つまり、これらのデバイスをリバースエンジニアリングすると、SEの身体にどのような負荷がかかりやすいのかが見えてきます。
2. マウスの設計から見える身体への配慮
まず、マウスです。
通常のマウスは、手のひらを下に向けて使います。
このとき前腕は回内します。
一般的には「手首がねじれる」と感じるかもしれません。
しかし、実際には手首そのものだけではなく、前腕、つまり橈骨と尺骨の関係で回内が起きています。
エルゴノミクスマウスや縦型マウスは、この前腕の過剰な回内を抑える方向に設計されています。
握手をするような角度でマウスを持つことで、前腕のねじれを減らし、手首や肘への負担を軽くしようとしているわけです。
さらに、マウスは位置も重要です。
マウスが身体から遠い。
マウスが外側にある。
マウスを取りに行くために腕を伸ばす。
肘が外へ出る。
肩が前へ巻く。
こうなると、前腕はさらに回内しやすくなります。
つまり、マウスの問題は手首だけではありません。
肘の位置、肩の位置、腕の出し方まで含めて、ひとつの問題として見なければいけません。
トラックボールも同じです。
トラックボールはマウス本体を大きく動かさずにカーソルを操作するため、腕全体の移動量を減らす方向のデバイスです。
これは、肩や肘の移動を減らしたいという設計思想です。
マウス系デバイスは、手首、前腕、肘、肩への配慮から生まれています。
3. キーボードの設計から見える身体への配慮
次に、キーボードです。
通常のキーボードは、左右の手を身体の中心に寄せて打ちます。
このとき、手首は小指側へ曲がりやすくなります。
これを尺屈といいます。
さらに、キーボード面は基本的に水平です。
そのため、手のひらを下に向けて打つことになります。
つまり、前腕は回内します。
通常キーボードでは、次のようなことが起こりやすくなります。
- 前腕の回内
- 手首の尺屈
- 手首の伸展
- 肩幅とキーボード幅の不一致
- 肘の位置の固定
左右セパレートキーボードは、左右の手を身体の中心に無理に寄せず、肩幅に近い位置で打てるようにするための設計です。
テント型キーボードは、左右のキーボード面に角度をつけることで、前腕の過剰な回内を減らそうとしています。
曲線配置や立体配置のキーボードも、指の移動距離、手首の角度、前腕の位置を考慮した設計です。
メカニカルキーボードやキータッチの良いキーボードは、少し意味合いが違います。
こちらは、打鍵感、押下圧、ストローク、底打ち感に関係します。
強く打ちすぎる人にとっては、打鍵の反復負荷が前腕や指に蓄積します。
軽い力で確実に入力できることは、指や前腕の負担を減らすうえで重要です。
つまり、キーボードは指だけの道具ではありません。
手首、前腕、肘、肩の位置関係を決める道具です。
4. 椅子の設計から見える身体への配慮
椅子が見ているのは、腰だけではありません。
良い椅子、あるいは高機能なオフィスチェアやゲーミングチェアは、次のような要素を持っています。
- 背もたれ
- ランバーサポート
- 座面の高さ調整
- 座面の奥行き
- 肘置き
- ヘッドレスト
- リクライニング
- 足裏の接地
これらが配慮しているのは、骨盤、腰、背中、首、肩、肘、脚です。
座面が高すぎれば足が浮きます。
足が浮けば、骨盤は安定しません。
骨盤が安定しなければ、腰や背中で座位を支えることになります。
肘置きが高すぎれば、肩がすくみます。
肘置きが低すぎれば、腕の重さを肩や首で支えます。
肘置きが遠すぎれば、肩が前へ出ます。
背もたれが合っていなければ、腰がつぶれます。
腰がつぶれれば、頭が前に出ます。
頭が前に出れば、首や肩に負担がかかります。
椅子は、座り心地のためだけにあるのではありません。
キーボードとマウスを使うための、身体の土台を作る道具です。
5. デバイスを逆算すると、SEに起きやすい症状が見えてくる
ここまで見てくると、SEに起きやすい身体のトラブルが自然に見えてきます。
マウスが前腕回内を考慮しているということは、前腕がねじれやすいということです。
キーボードが手首の角度を考慮しているということは、手首が曲がりやすいということです。
椅子が腰や肘や足裏を支えようとしているということは、座位そのものが身体に負担をかけやすいということです。
その結果、SEには次のような症状が起こりやすくなります。
- 手首の痛み
- 指の疲れ
- 前腕の張り
- 肘の痛み
- 肩こり
- 首こり
- 頭痛
- 肩甲骨まわりの張り
- 背中の痛み
- 腰痛
- 眼精疲労
- 呼吸の浅さ
- 疲労感
ここで大事なのは、症状を単独で見ないことです。
手首が痛いから手首だけ。
肩がこるから肩だけ。
腰が痛いから腰だけ。
そう見てしまうと、PC作業の身体負荷は見えにくくなります。
マウス、キーボード、椅子の設計を見ればわかる通り、SEの身体トラブルは、指先から手首、前腕、肘、肩、首、背中、腰、骨盤、足裏までつながっています。
6. さらに逆算すると、この姿勢が導かれる
では、これらのデバイスが配慮している内容を、さらに逆算するとどうなるでしょうか。
前腕を過剰に回内させたくない。
手首を反らせたくない。
手首を小指側に折りたくない。
肘を外へ出したくない。
肩をすくめたくない。
肩を巻き込みたくない。
腰をつぶしたくない。
足裏を浮かせたくない。
そう考えていくと、導かれる姿勢は次のようになります。
- 骨盤を立てる
- 体幹を積み上げる
- 頭を前に出しすぎない
- 肩をすくめない
- 肩を巻きすぎない
- 肘を体幹の近くに置く
- 前腕を過剰回内させない
- 手首を中立位にする
- 足裏を床につける
つまり、何か特別な姿勢が出てくるわけではありません。
結局は、どこかで見たことのある、ありきたりの良いPC作業姿勢です。
しかし、ここが重要です。
マウス、キーボード、椅子という別々のデバイスから逆算しても、結局この姿勢に行き着くのです。
ということは、SEが長時間、長期間、PCに向かって仕事を続けるためには、この姿勢が基本になるということです。
7. しかし、この姿勢は……
では、この姿勢を取ればよいのでしょうか。
実際にやってみると、ここで問題が起きます。
骨盤を立てると、腰が張る。
体幹を積み上げると、背中が疲れる。
頭を前に出さないようにすると、首が詰まる。
肩をすくめないようにすると、逆に肩がこる。
肘を体幹の近くに置くと、腕が疲れる。
手首を中立位にしようとすると、前腕が固まる。
良い姿勢のはずなのに、しんどい。
むしろ、崩れて座っているほうが楽に感じる。
これは珍しいことではありません。
ここで大切なのは、良い姿勢が間違っているという話ではないことです。
問題は、その姿勢をどう作っているかです。
8. 同動違力
同じ姿勢に見えても、身体の中で発生している力は違います。
これを私は、同動違力と考えています。
同じ「骨盤を立てる」でも、腰の筋肉で反らせている人がいます。
見た目には骨盤が立っているように見えます。
しかし、体内では腰背部の筋肉が過剰に働いています。
これでは疲れます。
同じ「体幹を積み上げる」でも、背筋を固めて起こしている人がいます。
見た目には背筋が伸びています。
しかし、体内では背中を緊張させ続けています。
これも疲れます。
同じ「肘を体幹の近くに置く」でも、上腕二頭筋で肘を曲げ続けている人がいます。
見た目には肘が体幹近くにあります。
しかし、腕の筋肉で姿勢を保持しています。
これでは腕が疲れます。
同じ「肩をすくめない」でも、肩を無理に下げようとして別の筋肉を固めている人がいます。
見た目には肩は下がっています。
しかし、体内では力みが起きています。
つまり、外から見た姿勢は同じでも、内部の力の使い方が違うのです。
良い姿勢なのに疲れる。
その理由は、姿勢の形そのものではなく、その姿勢を作るための力の使い方にあります。
9. からだとソフトウェアシステムの相似性
PCで考えるとわかりやすい。
ドライバーが合っていないのです。
同じ出力に見えても、内部で呼び出されているドライバーが違えば、動作は変わります。
デバイスは接続されている。
OSも動いている。
画面にも出力されている。
しかし、ドライバーが合っていなければ、動作が重くなる。
本来の性能が出ない。
余計な負荷がかかる。
エラーも出る。
身体も同じです。
骨盤はある。
背骨もある。
肩も肘も手首もある。
でも、それらをどう動かすかというドライバーが合っていなければ、良い姿勢を取ろうとしても余計な力が入ります。
骨盤を立てるために腰を固める。
体幹を起こすために背筋を固める。
肘を近づけるために腕を固める。
手首をまっすぐにするために前腕を固める。
見た目には同じ姿勢でも、内部処理が重すぎるのです。
だから、良い姿勢がしんどくなります。
このように考えると、からだとソフトウェアシステムは少し似ています。
表に出ている出力だけを見ても、内部で何が起きているかはわからない。
同じ動作に見えても、どの処理系で動いているかによって負荷は変わる。
同じ姿勢に見えても、どの身体の使い方で作っているかによって疲労は変わる。
姿勢は、見た目だけでは判断できません。
大切なのは、その姿勢をどのような内部処理で出力しているかです。
10. からだOSで Hello, world.
ここで、からだOSの話になります。
身体を動かしているOSがある。
腕、脚、体幹を動かしているドライバーがある。
あなたが良い姿勢を取れないのは、根性がないからではありません。
意識が低いからでもありません。
姿勢の正解を知らないからだけでもありません。
その姿勢を作るためのドライバーが、今の身体に合っていないのです。
だから、ドライバーを更新する。
からだOSをアップデートする。
からだOSのアップデートとは、見た目だけ良い姿勢を作ることではありません。
同じ姿勢を、余計な力みなく、より少ない負荷で作れるようにすることです。
骨盤を立てる。
体幹を積み上げる。
肩をすくめない。
肘を体幹の近くに置く。
手首を中立位にする。
このありきたりの姿勢を、無理なく出力できるようにする。
それが、SEの体調管理入門です。
つまり、からだOSで Hello, world.
11. SEの体調管理とは、創造的な仕事に集中するための基礎である
私は、SEとは、ソフトウェアという技術を使って、現実世界で起きている課題をいかに解決するかを考えるアートだと思っています。
AI時代に入り、開発の仕方は大きく変わりました。
コードを書く速度も、実装の方法も、調べ方も、昔とは比べものにならないほど変わっています。
しかし、SEの根底にある使命は変わりません。
現実を読み取り、構造化し、ソフトウェアという仕組みに置き換える。
その力こそが、SEの本質です。
工業製品、たとえば車づくりのようなモノづくりは、地道な改善、品質管理、製造技術、現場力の積み重ねがものを言います。
これは日本が非常に得意としてきた領域であり、世界でもトップレベルの技術力を持っています。
しかし、ソフトウェアは少し違います。
ソフトウェアの歴史を大きく変えてきたのは、単なる地道な積み重ねではありません。
一部の天才が生み出した、一瞬の構想力です。
ケン・トンプソンとデニス・リッチーがUNIXを生み出し、ティム・パターソンが86-DOSを作り、ラリー・エリソンがRDBを実用の世界へ押し出し、アラン・ケイがSmalltalkを作った。
これらは、疲労困憊の中で根性によって生み出されたものではなく、「こんな世界があったら面白い」という創作意欲から生まれたものだと私は思っています。
ソフトウェアとは、そういうものです。
現実を別の形に抽象化し、新しい世界の動き方を作る。
そこに、ソフトウェアの力があります。
だからこそ、SEは身体を疲れ果てさせてはいけません。
疲れ切った身体では、発想は狭くなります。
創造ではなく処理になります。
設計ではなく対応になります。
構想ではなく消化になります。
首が重い。
腰がつらい。
手首が気になる。
頭が痛い。
疲れが抜けない。
そうした身体のノイズが増えるほど、思考は本来の仕事から引き離されます。
SEの体調管理とは、単なる不調対策ではありません。
現実をソフトウェアで解決するという創造的な仕事に、身体のノイズなく集中できる状態を作ることです。
その第一歩が、導かれるPC作業姿勢を無理なく取れること。
そして、その姿勢を余計な力みなく出力できるように、からだOSをアップデートすることです。
からだOSで Hello, world.
SEとして長く、深く、創造的に仕事を続けるために。
まずは、自分の身体がどのように動いているのかを見直すところから始めてみてください。
